有効かつ安全なプロダクトの実現に向けた努力は 300年も前に始まっていたのです。 |
by Lisa Weeks
Marketing Communications
MasterControl
Editor’s note:本稿は二部構成の第一部となります。
秋真っ盛り。新学期の始まりです。
子供の頃、私は新学期が好きでした。 それは新たなスタートであり、新しい先生や新しい服、新しい文具を意味するものであったからです。あの頃初登場したTrapper Keeper®が最高のブランドだったことを思い出します。
ご存知のない方のために説明いたしますと、Trapper Keeperは80年代の文具の必需品で、カバー(キーパー)付きの3穴バインダーで、光沢のある原色のフォルダ(トラッパー)が中に収納されており、カバーは折り畳み式のマジックテープで留められるような構造になっていました。
私が持っていた、雲や虹やハートが描かれた美しい柄を今でも鮮明に思い出すことができます。そしてそれと同時に中学1年生の時、私が大好きだったMr. Wardの歴史クラスへと向かうときのあのわくわくするような気持ちが私の心に蘇ってくるのです。
ですが、悲しいことに子供たちには、私の学校や歴史そしてTrapper Keepersに感じている愛おしさなど伝わりません。「なんで僕たちがそんなことを知らなきゃいけないの?」「昔のことでしょ。訳わかんない」など不平を言うのです。
「楽しいじゃない」「面白いでしょ」と繰り返しても子供たちにはまだよくわからない様子で、おかしなことを言う人を見るような目で私を見ます。
最終的に「過去から学ばない人々が同じ過ちを繰り返す運命なのよ」と古い格言を言ってみると、興味を引いたのは『運命』という言葉だったようですが、彼らの注意をようやく引くことができたという次第です。
品質やライフサイエンスに関連する文書を読み書きする人がこの格言を聞くとドキっとしてしまいます。我々の業界では、確実に望ましい結果を得ること、あるいは望ましくない結果を回避することが経験や歴史が研究によって証明されているベストプラクティスの概念やテクニック・方法論といったものを糧にしているからです。
FDAは、あらゆる面においてベストプラクティスの管理人的な存在です。継続的改善や誤りから学習することの重要性を常に我々に思い出させてくれる役割をも担っています。
もしその重要性を我々が忘れてしまえば、危険な時に破滅的な状況に陥ってしまうのです。
FDAの起源
FDAは1930年に現在の名称となりました。
1906年6月23日に純正食品薬事法(Pure Food and Drugs Act)が通過し、現在のFDAの薬事的な業務が行なわれるようになりました。成立に四半世紀もの歳月を要したこの法律によって、不純物の混入や表示に誤りのある食品・医薬品の国内商取引が禁止されたのです。
(1)この法律制定以前は数多の怪しい治療薬や、様々な物質が混入する効果のない調剤、そして麻薬やアルコールが規制されることなく、どこでも誰でも購入可能な状況でした。
成分が記載されたものや誤使用に関する表示がある調剤はほとんど存在しない状態だったのです。したがって、人々は「薬剤師」から伝えられる言葉や経験から薬に関する情報を得なければならない状況にありました。
Pure Food and Drugs Act法案成立とFDAの設立は、第26代米国大統領Theodore Roosevelt氏と農務省化学局長(chief chemist of the Bureau of Chemistry in the Department of Agriculture)Harvey W. Wiley氏の功績です。
(2)1862年、Abraham Lincoln大統領やWiley氏の前任者であるCharles Wetherillが現代の食品及び医薬品に関する規制の種をまいたと言う人もいます。Roosevelt氏もWiley氏も、かつて存在していなかった消費者保護という局面に尽力し、その実現の一端を担った人物たちでした。
Pure Food and Drugs Actが施行日と同日に、Upton Sinclairの著書「The Jungle(シカゴ精肉業業界の暴露本)」を受けて、Roosevelt氏は連邦食肉検査法(Federal Meat Inspection Act;FMIA)に署名しました。
この法律により検査の権限が農務長官(Secretary of Agriculture)に付与され、不良(adulterated)や不当表示(misbranded)のある肉やその加工品が食用として販売されることを避け、肉やその加工品が衛生管理下で食肉処理、加工されることが定められたのです。
(3)FMIAの規制に従うことはとても簡単そうに思えますが、この法律により米国内の製造施設の現状がどのような状況にあるのか、またそれに対し施設責任者の目が配られていないという驚くような状況が白日の下になったのでした。悲しいことにこうした不適切な状況と人の目を欺むいた行為は、なんと300年間も続けられてきたのです。
・初期の食品及び医薬品に関する規制
初の植民地法: 1646 Massachusetts Bread Law
パン製造業というのは、ニューワールドに生まれた最初の商業でした。ほどなくして不誠実なパン屋は利益率を挙げる目的で、白亜や挽いた豆類といった安価な材料等を使用するようになったのです。本法律では「パン一斤」の価格は1ペニーと規定し、重量に応じて単価が下がる仕組みがとられました。査察官は施設に立ち入り「light(重量の軽いパン)」を押収していたのです。
*(lite(糖質やカロリーなどが低い)は当時存在していませんでした)
こうしたことは、はたして現代にまで何らかの影響を及ぼしているのでしょうか?
私はもちろん影響があると考えています。
(4)2007年中国のペットフードメーカーがタンパク質の代わりに、試験により模造可能な石炭誘導体メラミンを使用していたことが発覚しました。何千匹もの動物が腎不全に苦しみ死んでいきました。さらに酷いことに、2008年には中国の乳児用粉ミルクメーカーにより同様の不正が行われていたのです。確認されただけで少なくとも、乳児6人が死亡し、30万人が健康被害を受ける問題に発展したのでした。
・初の州法: 1785年、マサチューセッツ法Unwholesome Provisions Law
この法律は、特定の製品(パン等)だけでなく、食品全般に適用されるのは州で初めての法律でした。
FDA規則を読み解くのは大変だという皆さんのために、1785年の法律からの抜粋を以下に示します。
「…強欲や不正利得といった動機から悪意を持った者が、公衆衛生や平和を著しく害するような有病、腐敗、伝染、不衛生な食品を販売した場合」
なんてことでしょう!Form483やwarning lettersのことは忘れてください。
この法律の違反者は、「さらしもの」にされました。法を犯した者は数時間公の場にさらされたのです。
・初の連邦法:1789 Act of Laying a Duty on Imported Goods, Wares, and Merchandise
この法律には米国に輸入されている商品の品質管理を支援する目的で品質に関する条項が盛り込まれた収益創出を目的とする法令でした。
過去の食物及び医薬品に関する違反者への処罰 |
現代の食品及び医薬品に関する規制
1900年代初頭、Pure Food and Drugs Actが食物と医薬品の販売のための安全性および有効性に関し、その改善に大きな役割を果たしたものの、米国ではまだその取り組みは始まったばかりでした。法律の網をくぐり、特許権取得医薬品としてではなく「処方薬」として、悪徳業者は広告戦術を変えただけで怪しい薬の販売を継続し、近所の薬局に「あふれて」いる状態でした。
嘘の効能で最も多いのは現在も続いているダイエット製品でした。
(5)1906年の法律では、医薬品に対しその効果や純度の基準を設けるに留まっており、市販前にFDAへの医薬品情報の提出が義務化されていなかったため、健康詐欺が横行していました。
裏付ける医学的根拠のない癌のためのJohnson’s Mild Combination Treatmentのような「特効薬」が販売されることは完全に合法であると言えます。
米国政府対ジョンソン社の裁判で最高裁は、製品の有効性について1906法令の範囲を逸脱しているといった判決が下されました。
(6) ・1912年Sherley Amendment
米国対ジョンソンとの判決結果を受け議会は、Sherley Amendmentを立法化し医薬品の虚偽の効能記載が禁止されました。
Sherleyは、正しい目的への第一歩を踏み出したものの、理想からはかけ離れたものでした。
医薬品のラベリングに誤りやまぎらわしい記載であることの立証責任は政府にあり、その多くが立証困難な事例でした。
雑草のスギナから作られた偽糖尿病薬Banbarで多くの死亡事故が発生したケースでは、この薬品を服用した糖尿病患者の死亡診断書を政府が作成できたという事実や、薬製造業者が元シャツのセールスマンであったという事実にもかかわらず、陪審員が下したのは、医薬品メーカー側にとって有利な判決だったのです!
当然、2,000人以上の申込者の中から1907年に選ばれた最初の食品及び医薬品の検査官28名は、厄介な仕事を抱えることになったのです。
(7)・1914年Harrison Narcotic Act
特許権取得医薬品の乱用で最も悲惨な出来事には、赤ちゃんを泣き止ませるために与えられた「鎮静シロップ」の中毒がありました。当時一般的となった「鎮静剤」には、モルヒネやヘロイン・アヘン・アヘンチンキ(アルコールとアヘンの混成物)といった成分が含有されていたのです。
1906年の法律では内容物である麻薬(narcotics)の名称と用量の表示のみが義務付けられていました。このため、薬剤師が店頭で強力かつ常用性のある麻薬シロップを販売することが可能だったのです。
米国医師会と全国雑誌による反アヘン運動による圧力を受けて、1914年Harrison Narcotic Actが可決され、店頭での薬剤師による麻薬含有シロップの販売が禁止されたのです。
(8)・1938年Food Drug and Cosmetic Act
実際の変化は、S.E. Massengill社からエチレングリコール(不凍液)とトリメチレングリコールの副産物として生成されたジエチレングリコールが添加されていたエリキシール(スルファニルアミド)の製造及び販売に対する人々の抗議によって起こりました。エリキシールによる中毒が発生し、児童を中心に100名以上の患者が不幸にして死亡しました。人々は怒り、その後この溶媒を考案した化学者が自殺しました。
ある悲しみに打ちひしがれた母親が、6才の娘の死についてFranklin D. Roosevelt大統領に宛てて書いた痛ましい手紙の一文です。
「彼女との思いでは…小さい体が震え、小さい声で痛みを訴える姿であり、その思い出には悲しみがいっぱいで、私はとても正気ではいられませんでした。命を奪い、こうした苦しみを死後に残してしまう薬の販売をどうか停止してください… 」
(9)1937年のスルファニルアミドの悲劇が起こったことで、1906年の法律の全般的な見直しの必要性が明らかとなりました。この時、食品・医薬品・化粧品法(別名FD&C法及びFFDCA)が可決され、1938年6月25日にFranklin D. Roosevelt大統領が法案に署名しました。
消費者への販売前に医薬品の安全性を証明することが、初めて製造者に義務付けられたのです。1906年のPure Food and Drug Act が改正され1938年に本法律が成立しました。Sherley Amendmentも廃止され、有毒物質の安全性や耐性、認可された製造施設の査察などが盛り込まれました。
さてその後は? 引き続き、第二部もお楽しみください。
FD&C規制の改正は度々行われていますが、米国の食品及び医薬品の安全性に関する規制で中核となる法律は他にも存在します。第二部では関連する出来事も含めFD&C規制の重要な改正内容をご紹介いたします。
第二部には面白いクイズもあるのでFDAに関するあなたの知識を試してみてください。
歴史を語るのはやっぱり楽しいですね!
MasterControl社 品質部門マネージャーのLillian Erickson女史からの多大なるご協力いただきましたことに、心より感謝申し上げます。
著者のご紹介
Lisa Weeks
MasterControl社マーケティングコミュニケーションスペシャリスト。テクノロジーやライフサイエンスや規制に関連する業務など、広範囲のテーマで執筆活動を行っている。
McNeil Pharmaceuticals、SAP AG、SCA Mölnlycke、Crozer-Keystone Health Systems、 NovaCare Rehabilitation/Select Medなどの企業のマーケティング及び広告に関する業務を20年間行ってきた経験を有する。Medical Product Manufacturing NEWS (MPMN)、Medtech Pulse、Risk Insights, MD+DI、Pharmaceutical Processing、Genetic Engineering & Biotechnology News (GEN)、PharmaTechなど多くの業界紙においてそのスキルが発揮されている。
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